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エドワードヤン監督脚本「クーリンチェ少年殺人事件」

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星4、6 エドワードヤンの明暗の夏



1991年、脚本(他3名)監督エドワードヤン。
ビダーズエンド配給。



90年代。
香港ニューウェーブとともに、ミニシアターを席巻した台湾映画。

その2大巨匠が、ホウシャオシェンとエドワードヤンだ。

エドワードヤンは、当時日テレ系バップビデオが発売。

私は何より「カップルズ」に心を奪われた。

そのなかでも確か某評論家が絶賛記事(蓮實・山根)を目にする。

が、いざそのソフトがまあーないこと。

「カップルズ」「恐怖分子」はよくあるんです。「エドワードヤンの恋愛時代」は、気の利いたビデオ屋にはあった記憶。

そして探しに探して古町のシネマ倶楽部か?駅南のビデオ屋かビデオ1だったかなあ?みつけて感動した!

それが「クーリンチェ少年殺人事件」

2巻組ビデオで稲妻にうたれた。なんかみたことない衝撃だった。

ツァイミンリャンの孤独窮屈な若者とは違う。
ホウシャオシェンの田舎から都市へ翻弄される若者たちとも違う。
勿論ウォンカーワイのスタイリッシュさなど皆無。

当時の印象はなんだか、凄い青春映画を見た久々の感覚。
見づらいカメラワーク
ひそめく少年たちの縄張り争い
日本と台湾を結ぶノイズ
家族の背景
恋愛模様
長くて熱そうな台湾の風景に絡む
少年たちの右往左往とぎこちないよもやヘタウマねアメリカンな歌
そんな塊がねじこまれる圧倒的魂フィルムだと感じた!

後々主役の少年が「ブエノスアイレス」や「レッドクリフ」で頭角をあらわしていたチャンチェだったとはいざ知らず。
さながらスピルの「太陽の帝国」の子役がクリスチャンベールだったかのような後で知る衝撃だった。

そんなこんなで2016年。
ツィッターで知る。海外版DVD発売とその呟き。
そうこうしているとヤンの「恐怖分子」再公開のお話。それにともない台湾作品再上映。ホウの「トントンの夏休み」(未見)
「恋々風塵」のニュープリント上映(見逃し後悔)

あと、一回ビデオレンタルも昨年エドワードツイを受けレンタルしたが、なぜか見れずという蛇足経験あり。

そんなこんなしてると本作イオンシネマ西で限定上映で公開することを知る。「ムーンライト」を見にいった時だった。

「絶対にはってでも行きたい。」2017年春終わりあたり胸に誓う。

4Kレストアで全長版四時間、特別料金見てまいりましたあ。



まず!今年1番!旧作だけどね。

こんな素晴らしい映画そうそうないろうという分厚い小説を読み終えたような鑑賞後の明かり。

デジリマで明暗がくっきりはっきり見えていて気持ちが何より良かった。

本作は、意図的なのか?

夜を感じさせ
闇を感じさせる映像だ。

カラーなのに懐中電灯や街や屋内照明などを意識させる、感じさせてしまう。

つまり
感じざるをえない瞬間をゆっくりだだ長く見つめさせてる映画なんだと思います。撮影の素晴らしさがある。この明暗に魅了されてるんだと思います。
そこに展開する
少年たちの縄張り争い
暴力
日本文化
台湾歴史
軍事と拷問、詰問
台湾に入り込む米の歌
ラブ片思い、
どうにか支配したいあの子
嫉妬
セックスと暴力
家族崩壊
父性、なさけなさ、語気の荒さとふがいないどうしょもない男のちんけさ
とかとか。

を、四時間強につめこんだのが、エドワードヤンの本作なんじゃないのかなと思った。

ただ、画面はとても窮屈で
判りにくい。顔判別認証と名前検索のいらだち。
引きの構図、アップが少ない、見にくい。
だからこそ、画面に集中せざるをえない画力がある。 発見せざるをえない窮屈である意味不明瞭な画面配置や意図的なショットの外しが見られる。
例えば、シャオスーとシャオミンが学校の保健室かなんかで話すシーン。ずーっとドアの扉の影のようなアップに2人の会話が聞こえてくるようなシーンがある。2人を映すんじゃなくて、あえて違う箇所を映したりしているのだ。それが意図的恣意的示唆的、エドワードヤンの画力の持ち味、映画の魅力的な外しの美学なんかもしれない。それが四時間詰まっていた。

なんで、見る方によっては、何が誰で何がオモロイのか判らないのかも知れない。画面不親切。台詞優しい説明は、歴史的な説明となんやらの難しい台詞のみ。

ですが、台湾の夏の学校を舞台に少年達が明暗を青春する、台湾をヤン監督が鮮烈に切り取っているのだ。ただ、ただ、みづらい画面のなかに、走り回り、濡れ回り、がなりたて、せせら笑う彼等の明るい夏を魅せてくれるのだ。

何が本作の面白さなんだろと、割と長く鑑賞後から考えたのですが、まず、何より!

子役が凄い。生き生きとしている。

コレがまずでしょ!ってことだ。

チャンチェの無言のなにおかいわんやのあの無表情。ただよう懐中少年は、ラストにむけてラブと矛盾と様様な何かに挟まれ、転ばされ、奪われ、ラストまで突進していく。我々にもの凄い生々しいもんをぶつける。余韻をあたえてくれる。本作で見つめてきたチャンチェ少年のラストを衝撃的驚愕せざるをえない目撃者になるわけだ。内包されたサスペンスが終わる。題字どうりの何かを感じさせるのだ。さぞ、明るい夏はぶったぎられ、ジエンドを迎える。劇場の外に放り出されてしまうのです。このヒリヒリした世界観を見終えて、我々鑑賞者は、長旅を終えて。あの瞬間の素晴らしさ!ある意味ラストが素晴らしい映画にも見えます。

チャンチェの総ての所作とつぶらな瞳から感じさせる。あの無垢な目と鋭利なナイフのような荒くれた何かを魅せてくれる存在感。必見の少年だ。

かきみだされつづけ、ウロウロした物語は一点のシャオスーの行動の物語だ。全然台詞で説明も何もないけど。あのラストにつながっていく。

その原因たる本作の裏ヒロインも見所なんだと思った。ラブるシャオミンの少女感だ。
なんでしょうか、わかりませんが。このファムファタぶり。シャオミンの女っぷり、必見だ。
女性からみたシャオミン意見を朝まで生テレビでやってほしい。議論して欲しい。この子はどんな風にみえるか我々男性に教えて欲しいと思った。

色白で、しっかりラブを捕まえながらも、どこかマイペース。本作を引っ張る時々表れる美貌は、善か悪か。彼女がバストショットで映画のオーディションかなんかのシーン、白猫の置物かと思った。

また、チャンチェの周りの子供達の素晴らしさ、世界観がみどころだ。

リトルプレスリーのあの可愛さ。なんだあのセッシュウして歌を歌うあのクシャった顔、かわいい!必見!チャンチェを助け、米文化に触れさせる友であります。

のち「カップルズ」で主演をやるクーユールンも出ています。目がくぼんでいる。

またこぜりあいする少年たちの暴力ザマが本作の核たる見せ場。
ハニーは、セラーズ?ですか(笑)とまた思ったバンカラ風貌。バンカラが今や「ない」。コスプレにしかみえない。マジ格好つけに見えない痛いしさにみえる。

さまざまな集団、ボス、大ボスたちの末路必見。暗闇、逃走、雨、歌、因縁、怒号、馬鹿にする、なめる、ビビらす。いじめ一生懸命詰まってる映画だ(苦笑)必見!

そこに家族の日本との対立やら政治的因縁やら、ラジオや刀や銃やカセットやら、レコードやら家族的不和、おやじ存在感やらが絡みこみ、暗い家の中、近所つきあいとか、身分職業とか、不平不満とかとか。押し入れにとじこもるチャンチェから見えてくる。その情報過多さ必見。頭なかなかついていけない過多さがある。そのさり気なさも素晴らしい。こちらがメインで映画ができそうだ。サブテキスト的不親切なバッサリ感がある。

エドワードヤンは、欧州寡作作家、テオアンゲロプス「旅芸人の記録」を意識したとかしないとか読みました。私も未見のこちらも長時間家族歴史大作の有名作品であります。今やレアソフです。あと劇中の映画はホークス「リオブラボー」だとか?。

エドワードヤンが台湾の輝かしい夏の中に明るいというよりは、何かムシムシとしたベタつくような夏の明るさの中、少年達の暗く見にくい心の冷たい暗部を魅せてくれる。

ボクが君だけを救える
いや!いや!それはどうかな?エドワードヤンの夏。

本当に見終えた後久々になんか心地よい重たい荷物を背負いおえた開放感と現実になかなか戻れない何かかんじさせてくれる映画だった。それが本作の最大の魅力、エドワードヤンの最高傑作なんだと思った。マーティンスコセッシがフィルム修復するよう動かせる力を持つ映画なんだと思った。


さて
エドワードヤンのエドワードヤンの明暗の夏

クーリンチェイ殺人事件の夏

ぜひ!素晴らしきアジア映画、台湾映画の名画見て頂きたいです!


本日脱稿
参照資料映画芸術2017春459号。レビュー拝読。

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